2011年3月31日木曜日

ボランティア炊き出し終了

3月31日で地震被災地へのおにぎりの炊き出しはとりあえず終了致します。

この、ボランティアによる炊き出しは終わりますが、只見町から被災地への炊き出しは

当然の事ながら形を変えて引き続き行われるそうです。

 




ボランティアに参加の皆様ほんとうにおつかれさまでした。

2011年3月28日月曜日

おにぎり




毎日、毎日、気がかりなのは原発のことばかり。

只見町は発電所から150km余り離れており、今のところ放射能レベルもさほど上がって

おらず一見平穏そうに見えたりもしますが、縁故関係の被災者の方々200~300名が

避難しているそうです。

只見町では3箇所の地区センターが有り、持ち回りでおにぎりを作り被災地まで運んでい

ます。本日は、我が居する地区センターの番なので相変わらずの雪道を昨夜に降った新雪

を踏みしめながら、おにぎり作りに参加してきました。およそ30人で1800コのおに

ぎりを作るのですが、当初は午後2時ぐらい迄かかっていたのが最近では午前中で終了す

るようになり、何事も「なれ」でしょうか。 

それにしてもしても放射能「なれ」だけは御免こうむりたいものです。


追伸
これはまぎれもない「人災」です。国及び東京電力はどう責任をとるのでしょうか?

果たして責任をとれきれるレベルの責任なのでしょうか?・・・

2011年3月16日水曜日

被災者の受け入れ

地震発生から5日たちました。

ここ只見町は地震による直接的な被害情報はありませんが、ガソリンスタンドはすべて閉

鎖、我が小屋に通ずる林道も春の除雪の時期なのですが役場の除雪はすべて燃料不足で中

止、夕方に災害放送があり診療所も閉鎖になった模様です。

明日は地区センターに炊き出しのお手伝いの予定でしたが被災者の受け入れが急遽きまり

炊き出しは中止になりました。

物不足を除けば只見町はいたって元気です。

この日本最大の危機を日本人一丸となって協力し合い乗り越えなければなりません。

今こそ、人々は生きる権利と支え合う義務を果たすべきではないでしょうか。

何もせずにはには居られない、そんな思いでいっぱいです。

映画「渚にて」が頭をよぎります・・・

2011年3月11日金曜日

無事です

ものすごい地震でしたが無事です。

2011年3月10日木曜日

確定申告


3km下った地区センターで確定申告の受付をすると云う事で雪の林道をカンジキを履いて

トコトコと歩いていると私の小屋よりもさらに2kn上がった林道のどんずまりにお住まい

の今井さんご夫妻とお会いしました。冬の林道で誰かに会うのはごくまれな事です。今井

さんご夫妻も都会に出て今、戻ったということでした。今井さんは田舎暮らしの大先輩で

古民家を改造して家具工房を主宰なさっています。

地区センターでそそくさと申告を済ませ村の温泉に、じっくりと湯につかり休憩室でゴロン

と、なんてのんびりした日々であろうか・・・いつしかsss・・ 気が付いたら夕暮れ時そ

うそうに温泉を出て帰路に再びカンジキを履いて林道をザックザック。

森の向こうにはオーロラに似た雲が茜色に染まっていました。

2011年3月9日水曜日

窓辺のトマトが・・・




一週間ばかり雪の世界から逃れ、250kmも離れたシャバの空気を吸いにオンボロ軽トラでトコ

トコと出かけて見ました。着いてそうそうにいつもの友といつもの店に、政治談やら農業談に

花が咲き、もしかしたら、性戯談もあったかも?これも又いつものパターンなのですが、友に

はすっかりご馳走になりましたアリガトネ。

近頃ではインターネットでの買い物が当たり前になり町に出ても特別に買い物も無くただた

だ、だらだらと、この、だらだらも何故かなつかしい気がしてここちのいい時を過ごせまし

た。

久ぶりの家族との再会とだらだら気分に酔いつつも気がかりだったのは20cm 近くに育

った窓辺のトマト苗、枠を作ってビニールを張り光を採る方向だけを残して電気毛布をスッポ

リ掛けては出たのだが・・・   結果はやはり・・・瀕死の重態、寒さに弱いイタリアント

マトが一番弱っており葉はしおれて垂れ下がってまるで生きる気力を失ったような気さえ伝わ

ってくる感じでした。   だいじょうぶちゃんと生かしてあげるからネ・・・